極楽フットサル。1998年に三十代でゼロからフットサルを始めた毒男の日常
by devilb14
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長野県選抜の歴史【有史以前】
15日から札幌で全国選抜フットサル大会が始まります。
長野県選抜は、2008年以来の出場が叶いました。
私も微力ながらチームスタッフとして帯同します。
近年低迷が続き、今年の長野県選抜は若き新監督の下、変化の年でした。
出場することが目的だった時代から経験に行く時代へ、そして今年は勝負をする年だと思ってます。
フットサルとの関わりだけは古い(笑)私が忘備録も兼ね長野県選抜の歴史を振り返ってみます。
全ては繋がってます。
過去に長野県選抜に関わっていただいた皆さまに改めて感謝です。
私の記憶によるところが大きいので、もし「間違ってるよ」なんてご指摘があれば教えてください。
1999年の第15回全国選抜フットサル大会に長野エルザSC(現AC長野パルセイロ)が出場し、藤井健太、相根澄、上村信之介らを擁する日本選抜と対戦しています。
北信越は当時は前年の全日本選手権出場した県から出場するという内規がありエルザが出場したようです。
監督は小湊隆延氏(現AC長野パルセイロコーチ)。
当時小湊さんに話を聞いたら「前半はいい試合できたんだけどね。」とおっしゃってました。
フットサルネットのアーカイブに当時の記事があるのでご覧ください。
http://www.futsalnet.com/fn2009/1999/05/topics-017027.php
2001年の第17回大会には長野県選抜の名が出てきます。
この時は中信リーグのFC GRASTONEを中心としたチーム編成でした。
監督は玉置研二氏(現JOYフットサルクラブ・滋賀県リーグ監督)。
試合は3試合とも大敗でしたが、まだ県内に競技フットサルなど不毛だった時代に先駆けとなってくれました。
2003年に県リーグが始まり県リーグの優秀選手(薔薇FC、eggが主力)と当時日精樹脂SCのGKだった鳥越優志選手(現アロッサ松本)で2004年冬の兵庫オープンに望みました。
結果は1勝2敗でしたが、長野県の競技フットサルの第一世代とも言える選手たちがその後を引っ張っていくことになります。
この年の北信越選抜大会は戸倉体育館で開催。
兵庫オープンと同様、監督は中井滋洋氏(現Nagano Futsal Project代表)、県リーグ薔薇FCと北信リーグの「まめもやし」の選手中心で望みますが惜しくも新潟県選抜に敗れてしまいました。
因みに今年最年長の勝沢祐人選手(現ボアルース長野)はこの年から出場してます。
その年にブラジル留学帰りの柄沢健氏(現長野東部中フットサルコーチ)を監督に向かえ戸倉町(現千曲市)のエキジビションマッチでCAボンボネーラ(現カベーラ新潟)と対戦しますがこれも敗戦してしまいました。
2005年から長野県フットサル連盟は、選抜チームの強化を事業の一つの柱とし強化育成部を立ち上げます。
また、大原学園菅平校がフットサルコースを立ち上げます。
監督を連盟強化育成部の滝澤正氏(現長野県フットサル連盟理事長)、コーチに大原学園JaSRA監督の”あの”ジョナス・ナシメント氏を向かえ強化を図っていきます。
つづく?
文責 飯島正信
長野県選抜は、2008年以来の出場が叶いました。
私も微力ながらチームスタッフとして帯同します。
近年低迷が続き、今年の長野県選抜は若き新監督の下、変化の年でした。
出場することが目的だった時代から経験に行く時代へ、そして今年は勝負をする年だと思ってます。
フットサルとの関わりだけは古い(笑)私が忘備録も兼ね長野県選抜の歴史を振り返ってみます。
全ては繋がってます。
過去に長野県選抜に関わっていただいた皆さまに改めて感謝です。
私の記憶によるところが大きいので、もし「間違ってるよ」なんてご指摘があれば教えてください。
1999年の第15回全国選抜フットサル大会に長野エルザSC(現AC長野パルセイロ)が出場し、藤井健太、相根澄、上村信之介らを擁する日本選抜と対戦しています。
北信越は当時は前年の全日本選手権出場した県から出場するという内規がありエルザが出場したようです。
監督は小湊隆延氏(現AC長野パルセイロコーチ)。
当時小湊さんに話を聞いたら「前半はいい試合できたんだけどね。」とおっしゃってました。
フットサルネットのアーカイブに当時の記事があるのでご覧ください。
http://www.futsalnet.com/fn2009/1999/05/topics-017027.php
2001年の第17回大会には長野県選抜の名が出てきます。
この時は中信リーグのFC GRASTONEを中心としたチーム編成でした。
監督は玉置研二氏(現JOYフットサルクラブ・滋賀県リーグ監督)。
試合は3試合とも大敗でしたが、まだ県内に競技フットサルなど不毛だった時代に先駆けとなってくれました。
2003年に県リーグが始まり県リーグの優秀選手(薔薇FC、eggが主力)と当時日精樹脂SCのGKだった鳥越優志選手(現アロッサ松本)で2004年冬の兵庫オープンに望みました。
結果は1勝2敗でしたが、長野県の競技フットサルの第一世代とも言える選手たちがその後を引っ張っていくことになります。
この年の北信越選抜大会は戸倉体育館で開催。
兵庫オープンと同様、監督は中井滋洋氏(現Nagano Futsal Project代表)、県リーグ薔薇FCと北信リーグの「まめもやし」の選手中心で望みますが惜しくも新潟県選抜に敗れてしまいました。
因みに今年最年長の勝沢祐人選手(現ボアルース長野)はこの年から出場してます。
その年にブラジル留学帰りの柄沢健氏(現長野東部中フットサルコーチ)を監督に向かえ戸倉町(現千曲市)のエキジビションマッチでCAボンボネーラ(現カベーラ新潟)と対戦しますがこれも敗戦してしまいました。
2005年から長野県フットサル連盟は、選抜チームの強化を事業の一つの柱とし強化育成部を立ち上げます。
また、大原学園菅平校がフットサルコースを立ち上げます。
監督を連盟強化育成部の滝澤正氏(現長野県フットサル連盟理事長)、コーチに大原学園JaSRA監督の”あの”ジョナス・ナシメント氏を向かえ強化を図っていきます。
つづく?
文責 飯島正信
by devilb14
| 2012-09-13 15:02
| フットサル